はじめに
今日、6月18日は父の日です。皆さん、ちゃんと「ありがとう」って言えましたか?
私も1歳10か月の長男から初めて「お父さん ありがとう」のお手紙をいただきました。
実は今年の父の日は父の13回忌を迎える日になり、「ありがとう」を伝える良い機会をいただきました。
今回はそんな特別な父の日を記事にしました。
特別な父の日
記事作成の背景
お寺から13回忌の連絡があり、言われるがままに準備を進め、その日が父の日であることもに気が付いていませんでした。
しかし数日前、ブログでもTwitterでもフォローさせていただいているはにゃお (id:hanyao) さんのお父様について記事を拝見。
13回忌と父の日が重なったこの特別な日に父のことを思い出し、この時の父についての記憶を記事の残そうと思いました。
そしていつかこの記事を自分の息子が見つけて、少しでも私(父)について知る機会になれば幸せです。
私の父について
私は2人兄弟の長男ですが父も4人兄弟の長男であの時代的には一般的な家族構成だったと思います。
しかし、父が高校生2年生の時に祖父(父の父)が亡くなり、高校卒業前後には兄弟の面倒を見ながら働き始め、この時から兄弟の長男ならお父さん的存在に代わっていたと聞いています。
月日は流れ、父の兄弟は成人し、さらに長男である私も弟も成人しました。
そんな高校生の時から父親的存在になった父は温厚でまじめを絵に描いたような存在。
趣味も無く、週末は庭の手入れや子供とスイミングプールやハイキング。
自分の為に時間を使った姿を見たことが無いです。
また旅行と言えば、熱海や箱根と東京から近場のみ。既に海外旅行も珍しく無い時代に新婚旅行も熱海。(←母が愚痴っていました)
海外旅行に関しては会社の社員旅行で台湾に一度、行っただけです。
父との別れ
人生は色々あるものでそんなまじめな父親から私のような変わり者が育ち、父が無くなる直前の連絡はオーストラリアのパースで受けました。
ちょっとドラマのような話なのですがこの時の私はバックパッカーで東南アジアやオセアニアを放浪しており、父が大病を患っていることを知りませんでした。
後から聞いた話になりますが心配する行けないからと私には父の病気について知らせるなと言う事だったようです。
そして帰国後、私が27歳の時に父は亡くなりました。
父との旅の思い出
父と最後に旅に出たのはいつだろう?
私の記憶では中学2年の夏休みにやはり国内旅行で静岡県伊豆の海水浴。
時期はお盆でとにかく大渋滞で海よりも車の移動の方が鮮明に覚えている。
中学3年の時は受験勉強、高校に入ると部活やアルバイトで家族旅行に出かける時間はいつの間にか無くなっていた。
私にとって父との思い出は中学生2年の伊豆旅行で止まっていました。
父とやりたかっと事
もちろん今となってはタラレバの話となってしまいますがもっと2人で将来についての話をしたかったし、お酒も飲みたかった。贅沢かもしれないが海外旅行にも一緒に行きたかったがすべてタラレバの話である...
自分が旅先で見てきた色々な国の風景や文化を高校生から働き続けたまじめな父親に見せてあげたかった...
今、振り返っても考えても父親に親孝行と言えるものをした記憶が無い。
自分にとって父親とは空気のように当たり前の存在で永遠だと思っていた。
だから毎日、話す機会はあったが照れくさくって話さなかった。
わざわざ一緒に出掛けようとも考えたこと無かった。
タラレバだが一緒に旅に出ていれば話す時間がもっとあったかもしれない。
私はもう後悔しないよう父が亡くなって翌年、母親を連れて東南アジアに2週間の2人旅に出た! 父親の事、将来の事、母自身の事などいっぱい話した。
まとめ
- 父や母は永遠では無く、有限である
- 父や母がご健在なうちに旅行に一緒に旅に出よう
- 子供が大きくなっても子供と出かけて話そう